Month: 2月 2015

誰の願い?

中華系の人たちは、旧正月を祝うとき、「万事があなたの願い通りになりますように」と挨拶を交わします。そうなったら素晴らしいのかもしれませんが、私の願いではなく、神のみこころがなされるなら、そのほうが最善だといえるでしょう。

鏡よ鏡!

自分の姿をどれくらい鏡に映して見ますか。あるリサーチによると、一日平均8回から10回程度だそうです。しかし、別の調査では、店のショーウインドーやスマートフォンに映る姿をちらりと見ることも含めると、一日に60回から70回にもなるといいます。

橋を架ける

ジェームズ・ミッチェナー著「センテニアル―遥かなる西部」は、アメリカの西部開拓時代を舞台にした小説です。パスキネルという名前のフランス系カナダ人の商人の目線で、大平原のアラバホ族とセントルイス市のヨーロッパ系住民たちの物語が展開します。パスキネルは無骨な冒険家ですが、ますます混迷する都市と広々とした大平原の間を行き来しながら、ふたつの大きく異なる世界の架け橋になっていきます。

御しがたきを制する

人間はベトナムのミニブタからシベリアキツネにいたるまで色々な野生動物を飼いならすことに成功してきました。テレビコマーシャルで猿に「演技」をさせたり、野生の鹿を訓練して、人間の手から直接餌を食べるようにしたりしました。使徒ヤコブは「どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています」と語ります(ヤコ3:7)。

その子をわたしのところに

マークが「神さまを信じていないから教会には行かない」と言い出しました。彼は、無邪気な少年から不機嫌で反抗的な青年に変わってしまいました。それからというもの、マークの両親にとって人生は戦場となり、日曜日は重苦しい日になりました。ついにどうして良いか分からなくなり、カウンセラーに相談しました。すると、こう言われました。「マークは自分で信仰の旅路を歩まなければなりません。親が子を御国に強制入国させることはできません。神に働いていただく余地を作りましょう。祈りつづけてください。そして、待ちましょう。」

愛についての問題

思考と感情が喧嘩するときは、しばしば心の判断が通ると「愛の一般論」という本に書かれています。以前は一般的に、人は頭(知性)で心(感情)をコントロールしていると言われていましたが、実はその反対であることが、最近の科学の発達によって分かってきました。要するに、「私たちが何者なのか、また、何者になっていくかは、私たちが何を愛するかにかかっている」というのです。

内に住まわれることば

主日礼拝の聖書朗読、聖書に忠実な礼拝説教、賛美歌、聖書の勉強会、デボーション・エッセー…。これらは、確かに神の真理を教えてくれますが、だからといって、自分で聖書を学ばなくて良い訳ではありません。

豊かに潤された人生

モンタナ州の平原で、農園を営んでいる友人がいます。彼の家に行くには、殺風景な不毛の荒野の真ん中にくねくねとつづく長い小道を通ります。しかし、家に向かって車を走らせていくと、あたりの風景が一変していきます。木々や草花が青々と生い茂る細長いエリアが、農場の中を蛇行しています。北アメリカ屈指のマス釣りの名所である有名な川が農場の敷地内を横切っていて、その川べりでは、どんな草木もゆたかに育ちます。そこで育つものには、絶えることのない命の水があります。あたりの植物はすべて、この水源の恩恵を受けています。

死からよみがえる

法律の上で死んでいる人が、生きていると正式に認められるでしょうか。このことが世界中で話題になったのは、25年間も行方不明だったオハイオ州の男性が出現し、元気だと分かったときです。失踪したとき、この人は失業中で、麻薬中毒に苦しみ、子どもの養育費も長らく払っていませんでした。それで、世間から隠れて生きることにしたのです。しかし、世に復帰しようとしたとき、彼は死んだ状態からの回復がいかに難しいかを知りました。裁判所で死亡を撤回してもらおうとしましたが、死亡届の撤回猶予期間である3年を過ぎているという理由で却下されました。